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中川繁夫の写真集

中川繁夫の写真を掲載します。

釜ヶ崎ドキュメント-097-

釜ヶ崎ドキュメント-097- 今池こどもの家に集まってくる少年少女たち。 この写真撮影は1980年ごろだから36年前です。 この子らはその後どうしているのか、気になるところです。 リンク:釜ヶ崎物語

釜ヶ崎ドキュメント-096-

釜ヶ崎ドキュメント-096- 釜ヶ崎解放会館の一階は、1980年当時は釜食堂としていた。 労働者に食事を提供する食堂です。 いまこのフロアは労働組合の労働相談を受けています。 このときは、小生の釜ヶ崎の写真展を開催しておりました。 リンク:釜ヶ崎物語

釜ヶ崎ドキュメント-095-

釜ヶ崎ドキュメント-095- 1980年正月に行われた<餅つき大会>風景です。 場所は三角公園、多くの労働者が並んで、つきあがった餅をもらう。 当時の正月、越冬の恒例行事となっていました。 リンク:釜ヶ崎物語

釜ヶ崎ドキュメント-094-

釜ヶ崎ドキュメント-094- 1979年6月20日とあります。 病院で亡くなられた労働者の身柄を引き取り葬儀をしました。 地域の労働者の手で葬儀が行われた最初でした。 リンク:釜ヶ崎物語

釜ヶ崎ドキュメント-093-

釜ヶ崎ドキュメント-093- みんな優しそうな表情してるなぁ。 いま改めて、見れば見るほどホットな気持ちになります。 リンク:釜ヶ崎物語

釜ヶ崎ドキュメント-092-

釜ヶ崎ドキュメント-092- 路上に座り込んでくつろぐ労働者たち。 リンク:釜ヶ崎物語

釜ヶ崎ドキュメント-091-

釜ヶ崎ドキュメント-091- その当時、釜ヶ崎の地に女子や子供がいるなんて、認知されていなかった。 釜ヶ崎は、男の街、あらくれた労働者の街、といった怖いイメージでした。 これは、おおむね、今も変わらない、世間からの見られ方かもしれない。 写真展で女…

釜ヶ崎ドキュメント-090-

釜ヶ崎ドキュメント-090- 取材しているなかで知り合いになった浜本さん。 解放会館の3階に居住されていて、何度も写真を撮らせてもらいました。 最後はどのようになされたのか、知らないままです。 リンク:釜ヶ崎物語

釜ヶ崎ドキュメント-089-

釜ヶ崎ドキュメント-089- 正月の餅つき大会に集まった労働者です。 撮影が1979年ですから、いまから37年前の光景です。 リンク:釜ヶ崎物語

釜ヶ崎ドキュメント-088-

釜ヶ崎ドキュメント-088- 釜ヶ崎原爆被爆者の会の事務所が火事で焼けた。 リンク:釜ヶ崎物語

釜ヶ崎ドキュメント-087-

釜ヶ崎ドキュメント-087- 撮影場所は萩之茶屋三丁目の路上でしょうか。 人がいて、カメラを向けるとこちらのほうを見る人たち。 釜が怖いところではないことが、わかりますか。 怖いのは、こちらの心が崩壊してしまうことです。 リンク:釜ヶ崎物語

釜ヶ崎ドキュメント-086-

釜ヶ崎ドキュメント-086- 1980年当時の釜ヶ崎解放会館前です。 今もそんなに風景が変わったわけではありません。 このとき原爆資料展が解放会館の二階で行われています。 釜ヶ崎原爆被災者の会があって、その会が主催でした。 リンク:釜ヶ崎物語

釜ヶ崎ドキュメント-085-

釜ヶ崎ドキュメント-085- 旧西成警察署の前に座り込む労働者。 リンク:釜ヶ崎物語

釜ヶ崎ドキュメント-084-

釜ヶ崎ドキュメント-084- 1980年の越冬闘争、正月の餅つき大会の光景です。 リンク:釜ヶ崎物語

釜ヶ崎ドキュメント-083-

釜ヶ崎ドキュメント-083- 廃品回収をしていた労働者が亡くなったというので葬儀が行われた。 位牌が解放会館に戻ってきたところです。 1979年6月の出来事です。 リンク:釜ヶ崎物語

釜ヶ崎ドキュメント-082-

釜ヶ崎ドキュメント-082- 解放会館前の路上で、ふたりの記念写真を撮った。 記憶がよみがえってきます、なごみ、なごやかに、語り合う時間でした。 リンク:釜ヶ崎物語

釜ヶ崎ドキュメント-081-

釜ヶ崎ドキュメント-081- 楽しそうやなぁ、いい顔やなぁ、1979年夏のことです。 三角公園のフェンスにもたれて、笑顔をみせる労働者。 リンク:釜ヶ崎物語

釜ヶ崎ドキュメント-080-

釜ヶ崎ドキュメント-080- 若いなぁ、いい顔してるなぁ、1979年夏のことです。 三角公園のフェンスにもたれて、笑顔をみせた若い労働者です。 リンク:釜ヶ崎物語

釜ヶ崎ドキュメント-079-

釜ヶ崎ドキュメント-079- 母と子、ふるさとの家にて撮影したものです。 何度も顔を合わし、知り合いになった母です。 子をかかえ懸命に生きていたように記憶しています。 リンク:釜ヶ崎物語

釜ヶ崎ドキュメント-078-

釜ヶ崎ドキュメント-078- 1980年当時、炊き出しを手伝っていた労働者のポートレート。 写真をみていると、彼との会話がよみがえってきます。 ぼくには、彼のその後の消息はわからない。 リンク:釜ヶ崎物語

釜ヶ崎ドキュメント-077-

釜ヶ崎ドキュメント-077- 三角公園は憩いの場。 夏の昼間、ともに時間を過ごす人々。 リンク:釜ヶ崎物語

釜ヶ崎ドキュメント-076-

釜ヶ崎ドキュメント-076- これから冬になる季節です。 路上生活者には耐え難い季節です。 まだまだ行政の手が届かないのが現状です。 いまはない市立更生相談所の前に集まった労働者です。 リンク:釜ヶ崎物語

釜ヶ崎ドキュメント-75-

釜ヶ崎ドキュメント-75- 1980年8月、夏祭りの準備中の記念写真。 なつかしい顔、なつかしい風景、いいね! こんな写真見てると、釜ヶ崎が怖い所だなんて、思えないでしょ。 リンク:釜ヶ崎物語

釜ヶ崎ドキュメント-074-

釜ヶ崎ドキュメント-074- 赤子を抱いた若い母でしょうか。 線路沿いに佇んで、電車が通るのを待っているのでしょうか。 釜ヶ崎というにはふさわしくないイメージかも知れません。 なんとなく、せいかつの、ほのぼの感を、ぼくに思わせるのです。 リンク:釜…

釜ヶ崎ドキュメント-073-

釜ヶ崎ドキュメント-073- 冬の間、越冬委員会が組織されて、集団就寝へ引率ていました。 労働福祉センターの軒下に敷かれた布団にもぐって夜を明かす。 この写真は、1979年1月の撮影です。 リンク:釜ヶ崎物語

釜ヶ崎ドキュメント-072-

釜ヶ崎ドキュメント-072- これは炊き出しの風景、今も昔も、という感じです。 このことが日常に行われているという現実をどう感じるか。 感性の問題。 大きなテロ報道と同じように、この現実も重要案件だと思う。 リンク:釜ヶ崎物語

釜ヶ崎ドキュメント-071-

釜ヶ崎ドキュメント-071- 夏祭りで、花車を引っ張る子供たち。 釜ヶ崎、怖い所だというけれど、怖くなんてないよ。 人情味あふれる人たちばかり、そんな気がします。 リンク:釜ヶ崎物語

釜ヶ崎ドキュメント-070-

釜ヶ崎ドキュメント-070- 生きるためには飯を食わなければなりません。 しかし、金がなければ飯は食えない世の中です。 その金がない人でも飯が食えるような仕組み、炊き出しです。 今も昔も、状況はあんまり変わってないですよね。 リンク:釜ヶ崎物語

釜ヶ崎ドキュメント-069-

釜ヶ崎ドキュメント-069- 1980年、稲垣氏が立候補した大阪市議選。 西成警察署の前での演説に集まった人々。 リンク:釜ヶ崎物語

釜ヶ崎ドキュメント-068-

釜ヶ崎ドキュメント-068- 釜ヶ崎は労働者の街ですが、子供たちもたくさんいます。 そのころ東萩荘へいって子供たちの写真を撮りました。 集まった記録のなかに、けっこうたくさん、子供が写っています。 この写真も、その記録の中の一枚です。 リンク:釜ヶ…

釜ヶ崎ドキュメント-067-

釜ヶ崎ドキュメント-067- ひとが集まる、なにが起こるのだろうか。 西成警察署の前に集まった労働者たち。 リンク:釜ヶ崎物語

釜ヶ崎ドキュメント-066-

釜ヶ崎ドキュメント-066- 釜ヶ崎は人が生活する場所です。 日々、淡々と生活を営む人々が、ここにはいます。 喜怒哀楽、人々は、それぞれに生きていきます。 リンク:釜ヶ崎物語

釜ヶ崎ドキュメント-065-

釜ヶ崎ドキュメント-065- 自画自賛ということになりますが、わたしの青空写真展。 現地で撮って、翌日に250枚を展示するという方法でした。 フィルムの時代だから、処理時間がかかって、ほぼ徹夜が続きました。 リンク:釜ヶ崎物語

釜ヶ崎ドキュメント-064-

釜ヶ崎ドキュメント-064- 実は、この人物は武田博、釜へ青空写真展を見に来てくれた。 その後、何処で何をしているのか、所在不明です。 撮影は1979年の夏です。 リンク:釜ヶ崎物語

釜ヶ崎ドキュメント-063-

釜ヶ崎ドキュメント-063- アパートに住む家族の姉妹たち、親とお会いはしていません。 この子ら、いま、どこで、なにを、しているのか。 撮影は1979年の冬です。 リンク:釜ヶ崎物語

釜ヶ崎ドキュメント-062-

釜ヶ崎ドキュメント-062- 冬の路上で炊き出しが行なわれていました。 1979年、この年は西成市民館前の路上でした。 今も昔も、炊き出しを受ける人がいること、変らない。 リンク:釜ヶ崎物語

釜ヶ崎ドキュメント-061-

釜ヶ崎ドキュメント-061- 夏の日の昼間、三角公園に集う労働者。 リンク:釜ヶ崎物語

釜ヶ崎ドキュメント-060-

釜ヶ崎ドキュメント-060- ひとはみな孤独だというけれど、孤独は辛い。 カメラを持ったぼくに声をかけてくれても答えがでない。 リンク:釜ヶ崎物語

釜ヶ崎ドキュメント-059-

釜ヶ崎ドキュメント-059- 旅館の一室といった感じの日払いアパート。 部屋で向きあうと、この人が歩んできた道が語られます。 知りあった人に、自分のことを語りたい、と誰もが思う。 孤独な一人旅の道すがら、この人は、ここにいます。 リンク:釜ヶ崎物語

釜ヶ崎ドキュメント-058-

釜ヶ崎ドキュメント-058- 釜ヶ崎結核患者の会が発足した当時の会員の写真。 なつかしい顔ぶれです。 リンク:釜ヶ崎物語

釜ヶ崎ドキュメント-057-

釜ヶ崎ドキュメント-057- さりげない釜銀座通りの風景です。 カラー写真にしたら、今と変わらないとも思えます。 30数年経っても、阿倍野界隈ほどには、変化してないんですね。 リンク:釜ヶ崎物語

釜ヶ崎ドキュメント-056-

釜ヶ崎ドキュメント-056- とにかく子供の表情は明るい。 天真爛漫とは、この子たちのことをいうのかも。 こころ、救われます。 リンク:釜ヶ崎物語

釜ヶ崎ドキュメント-055-

日 釜ヶ崎ドキュメント-055- カメラに向かって、目線を合わせてくれた三人組。 1979年8月、釜ヶ崎夏祭りの日の光景です。 リンク:釜ヶ崎物語

釜ヶ崎ドキュメント-054-

釜ヶ崎ドキュメント-054- これは1979年の冬、炊き出しで命をつなぐ労働者。 2015年のいまも、この炊き出しの光景はかわりません。 表面が年月のなかで変わっても、本質は変わっていません。 リンク:釜ヶ崎物語

釜ヶ崎ドキュメント-053-

釜ヶ崎ドキュメント-053- 1979年冬、行政の対応に抗議する労働者のデモ。 リンク:釜ヶ崎物語

釜ヶ崎ドキュメント-052-

釜ヶ崎ドキュメント-052- 朝5時、早朝のセンター風景。 向こうに求人のマイクロバスが待っています。 今日の仕事を求めて、マイクロバスに乗りこみます。 リンク:釜ヶ崎物語

釜ヶ崎ドキュメント-051-

釜ヶ崎ドキュメント-051- 早朝のセンター二階、仕事に就く前の腹ごしらえ。 これは1980年ごろの食堂風景です。 リンク:釜ヶ崎物語

釜ヶ崎ドキュメント-050-

釜ヶ崎ドキュメント-050- 早朝のセンター、職を求めて求人車に乗り込む労働者。 リンク:釜ヶ崎物語

釜ヶ崎ドキュメント-049-

釜ヶ崎ドキュメント-049- 炊き出しを受ける人たち。 冬の夜、たき火が焚かれ、暖をとる。 リンク:釜ヶ崎物語

釜ヶ崎ドキュメント-048-

釜ヶ崎ドキュメント-048- 1980年頃の萩ノ茶屋三丁目界隈の風景です。 今も昔も、というけれど、そんなに変わっていません。 今日は敗戦から70年ということで、メディアでは特集ばかり。 リンク:釜ヶ崎物語