中川繁夫の写真集

中川繁夫の写真を掲載します。

スマホフォト-25-

鰻重セット フォトハウス表現研究所HP

スマホフォト-24-

京都、嵐山、渡月橋 フォトハウス表現研究所HP

スマホフォト-23-

夏越の茅の輪、これは平野神社の茅の輪です。 6月30日、一年の前半が終わる日、神事が行われるといいます。 無事に生きられた感謝と、あと半年、無病息災のお願い、だとか。 いまほどに科学や医学が発達していなかった頃の、信仰心なのでしょう。 2017.6.29…

スマホフォト-22-

中川繁夫のホームページ スマホを手にして写真を撮る、超現代的な手法ですかね。 高級なカメラがいい写真を作る条件だ、なんてことはありません。 でも、スマホの写真なんて、いかにも安っぽいイメージじゃないですか。 これ、どこで食べたとんかつだったか…

スマホフォト-021-

スマホで撮るときは一発勝負、一枚限りということにしています。 これまでとは、撮り方が違うのです。 そうして装飾というか、画像処理をその場でしてアップします。 横に広い写真のアップ先はツイッターが多いかな、と思っています。 スマホは縦型が一般的…

スマホフォト-020-

食べ物の写真というのも掲載しやすい被写体です。 食欲の話だから、肖像権でもめるわけでもありません。 また造作物に所有権があるとも思えないから、素直です。 とんかつ、どこで食べたものか、記憶にないけど。 中川繁夫のホームページ

スマホフォト-019-

スマートフォン、アップル系とグーグル系があって、微妙に違う。 ソフトウエアとしてのカメラが違うからだと思います。 カメラはたくさんあって、有料、無料、それぞれに編集ソフト付です。 かなりイージーに変換できるから、今どきのカメラ機能だと思います…

スマホフォト-018-

早朝に阪急梅田に到着して朝ごはんに食べた鯛茶漬け。 どうしてこんな高価なのを食べたのだろうか不思議です。 見知らぬところを徘徊するときは何を考えているのか。 わからないなぁ。 中川繁夫のホームページ

スマホフォト-017-

中川繁夫のホームページ

スマホフォト-016-

中川繁夫のホームページ

スマホフォト-15-

表GEN研究会ph たとえば、これらの建物の中の一室で、亡くなっていた人が見つかったと。 その人の所持品に現金が二千万円あった、というのは報道で知ったことです。 その現金は、どうなるんやろ、と現場近くの人たちはあれこれ詮索していた。 複雑な社会の構…

スマホフォト-14-

表GEN研究会ph どこの神社様だったのか、メモしてなくて記憶があいまいです。 撮影情報を辿っていけば、場所が確定でき、神社名が推測できる。 フィルムの時代とちがって、デジタルの時代は撮影情報が記録される。 そのうえ、GPS機能と連動して、スマホで撮…

スマホフォト-13-

表GEN研究会ph 手軽に撮れて、手軽に処理できて、手軽にネットへアップできる。 今どきの表現ツールとしての、静止画を発信する最前線だと思っています。 書籍を複写するごとく被写体に選んだのは、ボードレール全集の第一巻。 1968年に手に入れて、時折、パ…

スマホフォト-12-

キリスト教会の敷地のなかですが、この像があります。 聖母マリアさまの像でしょうか、気になって、なんども写真に撮らせてもらった。 スマホで撮らせてもらったのは初めてです。 拝むかわりにカメラをむけてシャッターを切らせてもらっています。

スマホフォト-11-

京都の千本通りは、昔の朱雀大路になるらしい。 一条通りからそのまま北へいくと石像寺、釘抜地蔵さんがある。 そこは昔の葬場に至る入り口だったのかも知れない場所。 庶民信仰の場所で、今でも願掛けしてる人を見かけます。 煩悩といえばいいのか身の不幸…

スマホフォト-10-

正月三が日に御開帳、お目見えするという椿寺の十一面観音像です。 べつにスマホではなくても高級カメラで撮る方がクオリティが高い。 そのように思われるので、もちろん別のデジカメで撮ってもいます。 貴重な被写体だからとフィルムで撮る気は毛頭ありませ…

スマホフォト-9-

スマートフォン時代になって、写真の発表の仕方が変わった。 というより、新たな発表の方法が加わった、といえばよい。 オリジナルプリントもあるけれど、スマホフォトもあるんだぜ。 それは現場性重視で、インスタグラム、ツイッター、フェースブックに連動…

スマホフォト-8-

写真とは何かという問いじゃなくて、平面イメージとは何か、ですね。 絵画、複製芸術、それらの総称としての平面イメージのことです。 それぞれの制作のための方法論ではなくて、自分と平面イメージとの問題。 この問題を提起して、美術、現代美術の枠組みを…

スマホフォト-7-

普段に見慣れた光景を撮っているのに違和感を感じます。 違和感とは<現実でない>という感じなのです。 フィクション、作り物、そんな感じがするのも写真だから。 現実と虚構のあいだの、ズレ、裂け目、クレバス、のようなもの。 スマホになっていっそう現…

スマホフォト-6-

携帯電話からスマホの時代になって生活様式が一変した感じがします。 街角の公衆電話から携帯電話になったときはまだそれを手にしていなかった。 いつごろからこんな風になったのだろうか、10年前、いやそんなに前でもない。 技術が進化して、深化して、内に…

スマホフォト-5-

環状線の新今宮駅を降り立つと道路の向こう正面にこの建物がある。 釜ヶ崎の象徴的な建築物だと考えています。 写真に撮ると、見た人にどういうイメージで伝わるのか。 行政サイドで「あいりん地区」というこの建物の奥の方。 この建物を解体するという動き…

スマホフォト-4-

夜の街、グリコのマーク、大阪は心斎橋か戎橋ですね。 スマホの写真縦横サイズ、これです。 アンドロイドに備わっているカメラで撮ったサイズです。 撮ったままの写真、画像をいじったりしていないと思います。 撮影は昨年の年末です。 思いのほか、よく写っ…

スマホフォト-3-

いつのまにかスマートフォンを手にして写真を撮るようになった。 iPhoneを一年間使って風景論という写真集を月に二冊、計九冊発行した。 昨年の10月からはアンドロイドのスマホを使って、これで写真を撮っています。 静止画像を得る、という言い方が適切なの…

スマホフォト-2-

もともと写真は一枚で見せる一枚完結です。 ただ同じような諧調で制作されるとシリーズとなります。 シリーズものが群となり塊になってきて物語となる。 基本的には一枚完結というのが静止画・写真の特質ではないか。 この原点に戻れるのが、ここ、スマホフ…

スマホフォト-1-

スマートフォン、俗にスマホ、iPhoneを使っていました。 昨年秋からはグーグルのソフトでアンドロイドを使いだしました。 アンドロイドに備わっているカメラで撮って、編集加工したものです。 写真とは何か、なんていろいろ考えますが、最新のカメラで撮った…

記憶の写真-11-

野口賢一郎くん、京都を離れて東京へいくときの写真だと思う。 知り合ったのはもう1980年を何年か過ぎていたころだったかと思う。 何処でどのようにして知り合うようになったのか記憶が定かでない。 だけど建築家の松本健さん経由だったかも、フォトハウス構…

記憶の写真-10-

嫁に行く。 この子の子供が結婚して、孫が数人いるから30年以上の前の日です。 1976年頃かと記憶していますが、その頃の嫁入りとは家から出る。 手伝いの人たち、なんともはや義理とか人情を感じますね。 義理の妹にあたる子です。

記憶の写真-9-

1982年の4月でしょうか祭の日の東松照明さん。 1981年末から京都取材で頻繁に京都入りされていた東松照明さん。 京都に住みつくことも検討されていたようだけど、通いでしたね。 ぼくの自宅のすぐそばでの、やすらい祭取材ですが。 写真見てみるとカメラ持っ…

記憶の写真-8-

これはもう1975年頃になっていた春でした。 撮影した場所は、向こうが銀閣寺道、左が北白川通りですね。 大学を卒業して京都に残ったメンバーと読書会を行っていました。 日曜日の午後に集まって、このときは、漱石を読む、でした。 ニコマートを買って、そ…

記憶の写真-7-

これは三脚立ててセルフタイマーで撮った写真ですね。 1965年3月、高校卒業前に金沢から能登へ旅した一日目でしょう。 能登の巌門へいく途中かもしれない、一人旅、二泊三日でした。 彼女と初めて会った日の数日のちのことでした。

記憶の写真-6-

セルフポートレートといえばいいのか、撮ってもらった写真ですが。 1977年の春でしょうか、関西二科展の看板の前です。 何を出品したんだったか忘れましたけど、写真部で出品しました。 こんな時代もあったね、と自分に言っているところです。 人生の痕跡と…

記憶の写真-5-

1975年頃の夏、石川県の内灘で撮った写真です。 カメラを持つ前から、この地に興味を持っていて、小説の舞台にしました。 ニコンのカメラを買ったばかりで、ここは家族で海水浴に行った海岸でした。 家族の写真と同じネガに何枚か、内灘の弾薬庫残骸を撮って…

記憶の写真-4-

写真から推測するに、これはたぶん1980年の春先のことだったと思えます。 エプロン姿の池田正枝さんが労働者への炊き出しを手伝っておられる。 この国で、日々、食べられない人がいる、ということは今も解消していない。 底辺生活者なんていう言い方は人間の…

記憶の写真-3-

懐かしい写真が出てきました。 達栄作さん、のちに千原栄作と名前がかわりますが。 1977年、冬の旅、正月だったと思います。 越前海岸の方へ撮影を兼ねての旅行だったと記憶しています。 お亡くなりになられてから20年以上になります。 ぼくの写真論形成の基…

記憶の写真-2-

そんなに古いことはない、とはいっても1985年だから30年も前です。 ぼくのカメラで、ぼくが撮られる立場で、撮ってもらった一枚です。 後ろに写っているのは今は亡き平木収さん。 フォトハウス京都主宰のワークショップの時に撮られたものです。 もう作家活…

記憶の写真-1-

1983年の春でしょうか、桜の季節です。 東松照明さんの取材に同行したときの写真です。 写っているのは、東松照明さんです。 どうもネガカラーで撮っている写真ですね。 当時はまだカラーといえば主にはリバーサルフィルムでした。 家族の写真を撮ってプリン…

白虎社の写真(1)-6-

この世は人間が主役だから、人間模様が描かれます。 人の生きざまということでいえば、舞踏に生きることは素晴らしい。 素晴らしい生き方というのは、多々あると思うところです。 何のために生きてるのか、なんて問うのは、無駄な事なのかも知れない。

白虎社の写真(1)-5-

この年の夏の合宿は、鞍馬の奥、百井の里でおこなわれましたが、そのときの野外公演の模様を撮影しておりました。準備中、眉を落としているところです。

白虎社の写真(1)-4-

夏の合宿に同伴しました、1981年だったかも知れません、1982年だったかも知れません。この年は、鞍馬の山奥の集落で、空き家を利用して行われました。屋外公演とはいっても観客がほぼいない公演でした。たまたま写真に撮ることができたけど、それから35年間…

白虎社の写真(1)-3-

あるひとにフィルムを預けてそのままになっているんです。 もう手元には戻ってこないネガ36コマのべた焼きをカメラで撮ったものです。 1979年夏の終わりに白虎社の存在を知って、1984年まで5年間ほど取材しました。 釜ヶ崎取材と並行して、次第に白虎社のほ…

白虎社の写真(1)-2-

最初に知ったのは、パブ聖家族の壁面に貼られた写真でした。 1979年12月、ぼくの初個展を開催するのですが、そこに貼られていました。 後に取材することになるなんて、思ってもみなかったが、興味がわきました。 野外演習、森の中、奇妙な格好をした裸同然の…

白虎社の写真(1)-1-

1980年にはいって、白虎社の本拠地・京都で、取材することができていました。 撮影はおこなってきましたが、モノクロで撮った写真は、未発表でした。 フィルムを失くしてしまってべた焼きだけが残っていた写真を載せます。 1982年の撮影だったかもしれません…

ドキュメント-004-

宝くじ売り場、2016.10現在です。 この売り場から6億円当選でました、とあります。 夢を買う、夢を売る、夢、夢、買わなきゃ当たらない。

ドキュメント-003-

京都のドキュメントをはじめたころ、祭りの光景をカメラに収めたものです。 掲載の写真は、1982年の10月22日でしょうか<鞍馬の火祭>の一枚です。 夜に行なわれる祭事だし、勇壮活発な動きがあるので、カメラ作業がむつかしい。 現場の中にいて写真を撮ると…

ドキュメント-002-

1975年の夏、石川県の内灘砂丘にて撮影した写真のなかの一枚。 講和、占領が解かれて日本独立後、米軍試射場が置かれた弾薬庫の跡。 試射場反対運動が起こり、その後の基地闘争の最初となった場所でした。 文学から写真へ移行するぼくの写真への原点となる一…

ドキュメント-001-

1970年大阪万博・太陽の塔

写真-010-

京都 2016.4.1

写真-009-

京都 2016.4.25

写真-008-

京都 2016.9.25

写真-007-

大阪 2016.9.6