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中川繁夫の写真集

中川繁夫の写真を掲載します。

記憶の写真-8-

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これはもう1975年頃になっていた春でした。

撮影した場所は、向こうが銀閣寺道、左が北白川通りですね。

大学を卒業して京都に残ったメンバーと読書会を行っていました。

日曜日の午後に集まって、このときは、漱石を読む、でした。

ニコマートを買って、それで記念写真したうちの一枚です。

 

 

 

記憶の写真-7-

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これは三脚立ててセルフタイマーで撮った写真ですね。

1965年3月、高校卒業前に金沢から能登へ旅した一日目でしょう。

能登の巌門へいく途中かもしれない、一人旅、二泊三日でした。

彼女と初めて会った日の数日のちのことでした。

 

記憶の写真-6-

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セルフポートレートといえばいいのか、撮ってもらった写真ですが。

1977年の春でしょうか、関西二科展の看板の前です。

何を出品したんだったか忘れましたけど、写真部で出品しました。

こんな時代もあったね、と自分に言っているところです。

人生の痕跡として残しておきます。

 

 

記憶の写真-5-

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1975年頃の夏、石川県の内灘で撮った写真です。

カメラを持つ前から、この地に興味を持っていて、小説の舞台にしました。

ニコンのカメラを買ったばかりで、ここは家族で海水浴に行った海岸でした。

家族の写真と同じネガに何枚か、内灘の弾薬庫残骸を撮ってありました。

1980年に発刊する映像情報の表紙にも使っていています。

自分の写真作業の原点的な一枚だと思っています。

 

 

記憶の写真-4-

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写真から推測するに、これはたぶん1980年の春先のことだったと思えます。

エプロン姿の池田正枝さんが労働者への炊き出しを手伝っておられる。

この国で、日々、食べられない人がいる、ということは今も解消していない。

底辺生活者なんていう言い方は人間の尊厳にたいして失礼ですが。

2017年の今も、日々、こういう光景があるんですね。

炊出しを受ける人たちに失礼だから、もう写真は撮りませんが・・・・。

 

記憶の写真-3-

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懐かしい写真が出てきました。

達栄作さん、のちに千原栄作と名前がかわりますが。

1977年、冬の旅、正月だったと思います。

越前海岸の方へ撮影を兼ねての旅行だったと記憶しています。

お亡くなりになられてから20年以上になります。

ぼくの写真論形成の基礎を学ばせていただきました。

プライベートな面でも大変お世話になりました。

 

 

 

 

 

記憶の写真-2-

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そんなに古いことはない、とはいっても1985年だから30年も前です。

ぼくのカメラで、ぼくが撮られる立場で、撮ってもらった一枚です。

後ろに写っているのは今は亡き平木収さん。

フォトハウス京都主宰のワークショップの時に撮られたものです。

もう作家活動はやめにして、講座等のディレクターとしてやっていこう。

そう思っていたころでした。