中川繁夫の写真集

中川繁夫の写真を掲載します。

記憶の写真-3-

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懐かしい写真が出てきました。

達栄作さん、のちに千原栄作と名前がかわりますが。

1977年、冬の旅、正月だったと思います。

越前海岸の方へ撮影を兼ねての旅行だったと記憶しています。

お亡くなりになられてから20年以上になります。

ぼくの写真論形成の基礎を学ばせていただきました。

プライベートな面でも大変お世話になりました。

 

 

 

 

 

記憶の写真-2-

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そんなに古いことはない、とはいっても1985年だから30年も前です。

ぼくのカメラで、ぼくが撮られる立場で、撮ってもらった一枚です。

後ろに写っているのは今は亡き平木収さん。

フォトハウス京都主宰のワークショップの時に撮られたものです。

もう作家活動はやめにして、講座等のディレクターとしてやっていこう。

そう思っていたころでした。

 

記憶の写真-1-

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1983年の春でしょうか、桜の季節です。

東松照明さんの取材に同行したときの写真です。

写っているのは、東松照明さんです。

どうもネガカラーで撮っている写真ですね。

当時はまだカラーといえば主にはリバーサルフィルムでした。

家族の写真を撮ってプリントするためにネガカラーだったかも知れない。

写真を見ると、その時のことを思いだします、記憶が連なってきます。

 

白虎社の写真(1)-6-

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この世は人間が主役だから、人間模様が描かれます。

人の生きざまということでいえば、舞踏に生きることは素晴らしい。

素晴らしい生き方というのは、多々あると思うところです。

何のために生きてるのか、なんて問うのは、無駄な事なのかも知れない。

 

白虎社の写真(1)-5-

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この年の夏の合宿は、鞍馬の奥、百井の里でおこなわれましたが、そのときの野外公演の模様を撮影しておりました。準備中、眉を落としているところです。

 

白虎社の写真(1)-4-

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夏の合宿に同伴しました、1981年だったかも知れません、1982年だったかも知れません。この年は、鞍馬の山奥の集落で、空き家を利用して行われました。屋外公演とはいっても観客がほぼいない公演でした。たまたま写真に撮ることができたけど、それから35年間、封印されていました。その時の模様を、展示していきたいと思います。

いま、ここに記事を書いているのは2016.11.9、午後5時半です。スマホで、abemaTVで、米国大統領にトランプ氏が選ばれたことの中継を見ています。世界が変わる、世界の枠組みが変わる、枠組みが変わるというより価値観が変わる。時代が変わる、地殻変動が起こって大きな地震が来た。それがいま、ここに、来ている。そのように思います。

 

 

 

白虎社の写真(1)-3-

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あるひとにフィルムを預けてそのままになっているんです。

もう手元には戻ってこないネガ36コマのべた焼きをカメラで撮ったものです。

1979年夏の終わりに白虎社の存在を知って、1984年まで5年間ほど取材しました。

釜ヶ崎取材と並行して、次第に白虎社のほうへ傾斜してきて、終わります。

終わりますというのは、ぼく自身が写真を撮らない宣言をするからです。

当時、白虎社の写真は、他の写真家何人かが雑誌などに発表していたと思う。

ぼくは、ほとんどの写真を、フィルムとべた焼きのままで、封印しました。

カメラを手にして10年ほどで、作家を続けることを断念したのでした。