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中川繁夫の写真集

中川繁夫の写真を掲載します。

スマホフォト-12-

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キリスト教会の敷地のなかですが、この像があります。

聖母マリアさまの像でしょうか、気になって、なんども写真に撮らせてもらった。

スマホで撮らせてもらったのは初めてです。

拝むかわりにカメラをむけてシャッターを切らせてもらっています。

 

スマホフォト-11-

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京都の千本通りは、昔の朱雀大路になるらしい。

一条通りからそのまま北へいくと石像寺、釘抜地蔵さんがある。

そこは昔の葬場に至る入り口だったのかも知れない場所。

庶民信仰の場所で、今でも願掛けしてる人を見かけます。

煩悩といえばいいのか身の不幸を願掛けするのですね。

 

スマホフォト-10-

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正月三が日に御開帳、お目見えするという椿寺の十一面観音像です。

べつにスマホではなくても高級カメラで撮る方がクオリティが高い。

そのように思われるので、もちろん別のデジカメで撮ってもいます。

貴重な被写体だからとフィルムで撮る気は毛頭ありません。

スマホ、これはエクスペリアに付属のカメラで撮ったものです。

 

 

 

スマホフォト-9-

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スマートフォン時代になって、写真の発表の仕方が変わった。

というより、新たな発表の方法が加わった、といえばよい。

オリジナルプリントもあるけれど、スマホフォトもあるんだぜ。

それは現場性重視で、インスタグラム、ツイッターフェースブックに連動。

ライブ感覚で、たまたまこれは静止画ですが、動画にもなる。

情報の流れ方、流され方が一変したといえばいいのではないか。

 

 

 

スマホフォト-8-

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写真とは何かという問いじゃなくて、平面イメージとは何か、ですね。

絵画、複製芸術、それらの総称としての平面イメージのことです。

それぞれの制作のための方法論ではなくて、自分と平面イメージとの問題。

この問題を提起して、美術、現代美術の枠組みを捉えようと試みます。

特にネットの時代になって、見るという環境が、変化しているわけですから。

新たな捉え方が必要な時なんだと思って、考えようとしているんです。

 

スマホフォト-7-

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普段に見慣れた光景を撮っているのに違和感を感じます。

違和感とは<現実でない>という感じなのです。

フィクション、作り物、そんな感じがするのも写真だから。

現実と虚構のあいだの、ズレ、裂け目、クレバス、のようなもの。

スマホになっていっそう現実味が消えていく気がしています。

 

スマホフォト-6-

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携帯電話からスマホの時代になって生活様式が一変した感じがします。

街角の公衆電話から携帯電話になったときはまだそれを手にしていなかった。

いつごろからこんな風になったのだろうか、10年前、いやそんなに前でもない。

技術が進化して、深化して、内に溜まる感情が、外に放出される。

このツールがスマートフォンという道具なのかも知れない。