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中川繁夫の写真集

中川繁夫の写真を掲載します。

記憶の写真-11-

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野口賢一郎くん、京都を離れて東京へいくときの写真だと思う。

知り合ったのはもう1980年を何年か過ぎていたころだったかと思う。

何処でどのようにして知り合うようになったのか記憶が定かでない。

だけど建築家の松本健さん経由だったかも、フォトハウス構想のなかで。

フォトハウスを最初のころに支持していただいたのが建築家松本健さん。

京都新聞の坂井さんに設立時とワークショップ開催時の記事を書いてもらえた。

どないしてるんやろ、その後、さくら組以後の消息がつかめていません。

 

 

 

記憶の写真-10-

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嫁に行く。

この子の子供が結婚して、孫が数人いるから30年以上の前の日です。

1976年頃かと記憶していますが、その頃の嫁入りとは家から出る。

手伝いの人たち、なんともはや義理とか人情を感じますね。

義理の妹にあたる子です。

 

 

記憶の写真-9-

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1982年の4月でしょうか祭の日の東松照明さん。

1981年末から京都取材で頻繁に京都入りされていた東松照明さん。

京都に住みつくことも検討されていたようだけど、通いでしたね。

ぼくの自宅のすぐそばでの、やすらい祭取材ですが。

写真見てみるとカメラ持ってられないですね、どうしたのか。

 

 

記憶の写真-8-

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これはもう1975年頃になっていた春でした。

撮影した場所は、向こうが銀閣寺道、左が北白川通りですね。

大学を卒業して京都に残ったメンバーと読書会を行っていました。

日曜日の午後に集まって、このときは、漱石を読む、でした。

ニコマートを買って、それで記念写真したうちの一枚です。

 

 

 

記憶の写真-7-

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これは三脚立ててセルフタイマーで撮った写真ですね。

1965年3月、高校卒業前に金沢から能登へ旅した一日目でしょう。

能登の巌門へいく途中かもしれない、一人旅、二泊三日でした。

彼女と初めて会った日の数日のちのことでした。

 

記憶の写真-6-

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セルフポートレートといえばいいのか、撮ってもらった写真ですが。

1977年の春でしょうか、関西二科展の看板の前です。

何を出品したんだったか忘れましたけど、写真部で出品しました。

こんな時代もあったね、と自分に言っているところです。

人生の痕跡として残しておきます。

 

 

記憶の写真-5-

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1975年頃の夏、石川県の内灘で撮った写真です。

カメラを持つ前から、この地に興味を持っていて、小説の舞台にしました。

ニコンのカメラを買ったばかりで、ここは家族で海水浴に行った海岸でした。

家族の写真と同じネガに何枚か、内灘の弾薬庫残骸を撮ってありました。

1980年に発刊する映像情報の表紙にも使っていています。

自分の写真作業の原点的な一枚だと思っています。